ひねもすのたりのたり

ぐちったりしたりしたりするかも

出産は病気じゃないっていうけど

保育所の話や出産の話や育児に関係ある記事を立て続けに読んでいたら、自分の妊娠中や産後の事を思い出して気持ちが悪くなってしまった。

妊娠出産育児中には色んなことがあって、これは私が墓場まで持って行かないと…という事もいくつもあるのでブログにも書けないんだけど、そういう話じゃなくて愚痴を書こう。

他の人にもこういう思いはしてほしくないなぁと思うし…でも誰にも読まれないかもしれないけど書いたらスッキリするかもしれないし…。

 

出産は命に係わる。

 

二人目の出産の時。
一人目は2歳なりたてぐらいでした。

予定日はまだ先だったけど破水したような気がして病院に行くことに。

そこで旦那が

「一人目生まれる時待ってるの長くて辛かったからギリギリまで行かない。子どももいるし家で待ってる」

って。

えー@@
病院は分娩室にうつるまでは家族だけで過ごせるお部屋がベットなんかもあって家族も寝られるのだ。

当然夫も子どもを連れて一緒に来ると思っていたのに。

でもこっちはお腹の様子が変だし急いで病院行かなくっちゃって私だけで病院へ。

病院で診察を受けたら「たぶん破水してますね~」と。

お腹の上側が破けると少しずつしか羊水が出てこないのだそうですが、それでもそのうち陣痛が強くなって生まれてくるでしょうと言われて入院。
ご主人を呼んでくださいと言われて電話をしたら、

「もう子どもが寝てるし、電車もないし、朝8時にそっちに行く」

って言われて広い部屋で一人で寝てた。

もちろん赤ちゃんの心音を測ったりとかそういうのはしてもらってたんだけど、一人で寒いなぁ…と思いながら過ごしていたらいきなりすごい悪寒が襲ってきて身体がガタガタ震えだした。

看護士さんは大慌てで機械が外れちゃうので動かないでっていうんだけど止まらない。

熱を測られると40度を超えていた。

少し起り始めていた陣痛は止まってしまった。

ご主人はっ!?って聞かれて朦朧としながら

「8時に来るそうです…」

といってた。

その後記憶が曖昧なのですが、心音が弱まった!帝王切開!でも家族の同意書がないとできない!間に合わない!!!という騒ぎがあったそうです。
病院の方から旦那に電話をして呼び出したそうですが、でも始発が動いてからだった。

赤ちゃんが生きるか死ぬかの時に「上の子寝てるから行けない」とかなんなのさ。

病院の方々のおかげで下の子は無事に生まれましたが、

「病院に着いたらいきなりたくさん書類書かされて手が痛くなっちゃったよ~」

とかへらへら笑ってた旦那の事を思い出したらゾッとしちゃった。

その時は高熱が出たばっかりだしお腹は切られてるし麻酔効いててなんだか分かんない状態だったけど…。

分娩室に立ち会え!とは言わないけど奥さんの出産時に病院にいないなんて、子どもも奥さんも両方亡くしてても文句は言えないんだぞ!というお話でした。

 

 

人生やり直せるならやり直したいですか?

「人生やり直せるならやり直したいですか?」

と聞かれて

「やり直さないです」

と、答えたら

「幸せですね」

って言われて。

確かに今は幸せだけど…と思う。

自分の意志で物事を決められるようになってからは、ずっと幸せだ。

子どもの頃は何も選べなかった。

流されるしかなかった。

その頃にもう一度戻れると言われてもイヤだ。

どんなに努力しようとどうにもならない事はどうにもならないんだもの。

そういう、戻りたくない過去を持ってる人と、

戻ってみたいなぁという過去を持ってる人と、

どっちが幸せの総量が多いのかなーと考えると訳が分からなくなる。

「幸せですね」って言われるのは「悩みがなくっていいね」って

言われているような気がする。

私は辛い時間をたくさん耐えたし、今でも癒えない傷は抱えたまま過ごしてる。

だから「違うよ!幸せじゃなかったよ!」と言いたくてもやもやしてしまった。

でも傷はなくならなくても確かに今は幸せだから「幸せですね」は間違ってないんだ。

もやもやするけどね。

どこかで選択肢が多いほど幸福を感じにくくなると読んだような気がする。

手に入ったかもしれない未来がたくさんあったら幸せになりにくいのかな。

私は選択できるものが少なかったから後悔がないのかな。

いいんだか悪いんだか…。

自転車で歩道を走るの?と聞かれた

 交通量の多い道路の脇の歩道で、狭い部分をおじいさんが通り過ぎるのを広いところで待っていた時、すれ違いざまおじいさんに「ここは歩道だけど通るの?」と言われた。

 受け取り方の間違いでなければ交通違反だから通るんじゃないと言ってたんだと思われ。

 注意されてちょっと考えたけど結局私は歩道を通りました。

 だって道路交通法より自分の命を守る方が大事だもんね、と思う。

 罰金何回払うことになっても命よりは安いでしょ!

 

 

 

 

どこからどこまでがキラキラネーム?

今日職場で子どもの名前の読み方の話をしていた人が

「キラキラネーム多いよね!漢数字の一って書いてはじめだって~」

って言ってたのでショックをうけて。

一ではじめは昔からよくあるキラキラしてない名前の気がするんだけど、

昔からあるかどうかではないのかなぁ。

親御さんはキラキラネームっていわれると想定してないと思うんだけど…

名前付けって難しいよね…。

 

はなかっぱが豆ご飯を好きな理由

息子が寝る前に「明日学校に行きたくない」といった。

理由はいくつかあったけど、一つが給食が美味しくないというのだ。

納豆じゃないのにネバネバした豆の入っているご飯が出るそうで…

話しに聞くだけでまずそう…

だいたい私も豆の入ったご飯は嫌いだし。

お赤飯とかグリンピースご飯とかダメなんだ…

だからはなかっぱが豆ご飯が好きって言ってるのを観るたび

なんで好物が豆ごはんって設定なんだろうって不思議に思ってたんだけど

豆ご飯が嫌いなのは私だけじゃなくって子ども全般なんじゃないの?

だから子どもが豆ご飯を食べるようにするために、

はなかっぱの好物は豆ご飯っていう設定なんだ!

ポパイがほうれん草を食べると強くなるのと同じだね!!

この大発見を息子に話すと

「そうかなぁ…ぼく枝豆ご飯は大好きだよ」

といわれ、娘にも

「私も枝豆ご飯好きだよ!」

子どもは豆ご飯キライ説はあっという間に否定されてしまった…

でも学校行きたくない話がうやむやになったからいいかな

息子くん明日学校行けるかなぁ…

 

許すというわけじゃないけど解かるような気がしてしまった

 厚木市のアパートで白骨化した男の子の遺体が発見された事件のニュースを見て、「死んだ子は私、出て行ったのはうちのお父さん」と思った。

 私は生きててもう40を超えたオバサンだけど子どもの頃があった。物心ついたころは祖母と姉と三人暮らしだった。母親は私が1歳の時に男と出て行ったといわれ、父親はたまに帰ってきて、泊まっていくこともあったけどほとんどいなかった。気が付いたら1年ぐらい帰ってきてなかった。知らない男の人が家に来て、ほんとはお父さん家にいるんでしょ?と聞かれたことがあって、「もともとあんまりいなかったけどずっと帰ってこなくなった」と答えたことがある。後になって思い返してみたらあれは父親にお金を貸した人が、祖母に父親の行方を尋ねても知らないと言われるので子どもに聞いたらほんとのことを答えるんじゃないかと思って聞きに来たんだろうなと思う。結局そのまま何年たっても帰ってこなくて今に至るのですが。

 なんで死んじゃった子が私だと思ったのかというと、まだ父親が完全に家を出る前一時期「今日からお父さんと暮らすんだよ」と祖母の家から姉とともに、お父さんの家というアパートに連れて行かれたのです。

 祖母はリューマチを患っていて、布団から起きるのにも不自由するような状態だったので、年端もいかない子ども二人の面倒をみるのはとても大変だったろうなと思う。それで父親に子どもの面倒はちゃんと自分で見ろって言ったんじゃないのかなと想像しているんだけど、まぁそこのところは本当に小さかったのでわかりません。たぶん4歳くらいだと思う。姉が小学校4年生かな。

 「お父さんの家」のはずなのに夜になっても父親は帰ってこなかった。もともと家事は姉がほとんどできるので食事は困らなかったけど夜眠るときに姉が「怖い…怖い…」と言ってたのはよく覚えている。次の日からは従妹姉妹が泊まりに来てくれて合宿のようで楽しかったけど(夏休みだったのかなぁ…)やっぱり父親は帰ってこず。小さい頃で記憶があいまいなんだけど1週間ほど子どもだけで暮らしたところで伯母(従妹姉妹の母ではない)が引き取りに来てくれてその生活は終わった気がする。父親は最初の一度しか現れなかった。

 あれ、伯母さん達親戚がいなかったら餓死してたかもねと思う。

 前に母親が子供を餓死させた事件があった時は、あれは母親の方に自分を重ねて見てしまって、結婚した相手が悪かったらあれは私だったかも!と思ったんだけど今回は自分は子どもの視点で考えた。死んじゃったけどお父さんのこと恨んでいないと思う。ただすごく悲しくてさみしかったろうなと思います。なんでそう思うのかというと小さい頃は私も「お父さん」が大好きだったからです。怒られて怖いとかそういう記憶もあるけどね。短気な性格で喧嘩で椅子を振りかざして姉(私の姉じゃなく父の姉)を脅してたのを覚えている。今思うとどうしようもないダメな人だけど当時は無邪気にひたすら好きだった。「パパのお嫁さんになる~」とか言ってた気がする。

 しかし大人になり「乳飲み子を捨てて男と出て行った最低な女」と刷り込まれていた母親の事が、もしかしてDVや嫁姑問題で悩んでいたかわいそうな女性かもしれないと考えるようになったりすると父親のことはだんだん好きではなくなってきた。伯母は「弟はどうしているかな?」などと心配したりしているし、姉も父親の事は元気で生きていると考えたがっているけれど、私はもうどこかで野垂れ死にしていればいいさ!と思っている。嫌いだ。育てて欲しかったとは思ってない、むしろよくぞ出て行ってくれたとも思っているけれど、許せない。

 それでも厚木市の事件のことふとわかるような気がした。

 「仕事をしなくちゃ生きていけないけど子どもがいたら仕事ができない」となったら、子どもは置いていくかもねと思って。

 前の大阪の事件の時も、私なら子供を置いて遊び回るなんて考えられない!とは思わなかった。これはそういう親の血をひいているからかな。それとも育ち方がそうだったから仕方ないよね、と思ってしまうんでしょうか。「私ならそんなひどいことはしない!」と大きな声で言えたらいいよね、と思うけど自分に嘘をついても仕方ない。私は自分がメンヘラ傾向にあることを自覚している。結婚したてや出産前後は自分でも訳が分からない行動をするのが止められなかった。追い詰められちゃって精神状態が不安定になると、これをやったらどうなるかってことが冷静に考えられなくなる可能性はあると思う。

 だからって子どもを放置していいと思っているわけではないです。個人を責めるなとも思いません。むしろ責めろ!と思います。

 ただ親の愛は信用できないからなにか他の対策ができるといいねと思います。

 

 書こうと思った時はもっと内容のあることが書けるつもりだったんだけど、書けないものですね。